▲「アリゾナ号」から浮かび上がる油の紋様 オアフ島、ハワイ 2005年5月 江成 常夫
●会 期 2011年7月23日~9月25日(日曜)まで。10:00-18:00月曜休館(最新の開館情況は要確認)
●会 場 東京都写真美術館 恵比寿ガーデンプレイス内 Tel:03-3280-0099 www.syabi.com
●観覧料 一般700円、学生600円、中・高生・65歳以上500円。
▼江成 常夫 1936年神奈川県生まれ、1962年 東京経大卒、毎日新聞東京本社に入社。1974年、退社。フリーランス写真家。1977年、第27回日本写真協会新人賞。1981年、第6回木村伊兵衛写真賞。1985年、第4回土門拳賞。1995年、第37回毎日芸術賞。2002年、紫綬褒章。九州産大名誉教授。
●第一章……「鬼哭の島」 太平洋戦で没した日本人将兵は約240万人。戦史上最悪の作戦とされた、フィリピンのレイテ島の闘いでは約8万人が戦死し、そのうち収集帰還した遺骨は約1万6000柱にすぎません。レイテ島に限らず、全滅の情況を「玉砕」の名で美化してきたパラオ諸島のペリリュー、北マリアナ諸島のサイパン、テニアン、小笠原の硫黄島、本土防衛の最終戦となった沖縄もまた、死者の霊魂が泣く「鬼哭の島」でした。
敗戦から66年、今の日本は飽食社会のもとでのモラルの喪失、人命は軽視され、自殺者が年間3万人にも及んでいます。この社会病理は昭和が犯した戦争と、それを真摯に語り継いでこなかった二重の過ちの延長線上にある、と私には思えてなりません。健全な現代史認識の回復が求められています。
●第二章……「偽満洲国」 満州国は1945年8月9日、ソ連軍の侵攻のもと、建国からわずか13年6ヶ月であっけなく瓦解し、消滅しました。
私は、戦後中国に取り残されてきた、日本人戦争孤児の身元調査がはじまった、1981年春から、1995年にかけ、満州国の各地を巡歴してきました。このなかで深く心に刻まれたのは、敵国の子どもを育てた中国の養父母に象徴されるように、日本の植民地支配を寛大に受け止めてきた中国人と、侵略国としての認識を埋没させてきた、日本人との大きな精神的落差でした。
●第三章……「シャオハイの満洲」 シャオハイは中国語で子どもを意味します。その戦争孤児は、いわば地獄のなかを生きながらえ、被害を受けた中国人の養父母に育てられました。日本政府がそうした孤児たちの身元調査をはじめたのは、敗戦から36年が過ぎた1981年3月でした。
人民服を纏い真っ黒に日焼けした孤児たちの、自分が誰なのかを問う姿に、私は国策の罪を弱い人たちに強いてきた国のありかたに、ことばがありませんでした。
●第四章……「ヒロシマ」 過ぎていく時間は残酷です。記憶を遠ざけ、生きとし生けるものを消滅させてしまいます。20数年前から撮影取材してきた被爆者は高齢化し、約半数が鬼籍に入っています。再会被爆者の肖像と、何千度の熱線で異形化したモノと場に光を当てました。
●第五章……「ナガサキ」 約8500人ものカトリック教徒が爆死していること。にもかかわらず敬虔なカトリック教徒だった医学者永井隆博士がその著「長崎の鐘」で、原爆投下を神の摂理として著したことで、長崎に祈りの心が生まれたといえます。
(江成常夫氏の解説を要約しました。かなり長文なので、転載するなら原文のままが原則です。そうでなければ割愛するのが妥当でしょう。しかし、テーマだけを掲げても理解の域を超えると判断して、勝手ながら五十分の一に要約したことをご容赦ください)